ジャワの暮らし58

2013/01/17 過去のブログ (エキサイトブログ)より

ジャワ滞在最後の朝は幼稚園へ、短期で通わせてくれた先生にお礼を伝えに出かけます。


ごんくんはジャワで自転車に乗るようになった。


幼稚園へ行く途中で商店のおばちゃんに呼び止められる。
「ごん、1500ルピア未払い~」
ごんくんは結局最後まで’つけ’でお菓子を食べた。
お詫びとともに支払いに行くと2000ルピアに上がっているから不思議。利子か。

幼稚園ではお弁当、昼休憩中。


職員室、、の向こうの部屋に


また人形見つけた、妙に気になります。


先生にお礼を伝えてお友だちにさようならをする。ごんくんには、友だちができた他、悪がきのいじめっこもいて花を取られて踏みつけられたり、押されたり、何だかんだといじめられていたのだけど、この間ごんくんがその子を突き飛ばして泣かせたこともあった。どっちも負けてない。幼稚園を出ようという時その子と目が合い、どうするかな?と思ったら駆け寄って、シーソーに乗ろう!とごんくん。いじめっこは、「こいつ何かたくらんでやがる!」みたいな顔して逃げていきました。いじめっことの関係も次回の’つけ’ということで。
伝統衣装で撮った記念写真の焼き増しに行った帰りに、魚やさんに寄る。

 


かわいい猫がいっぱい。


魚食べてます、店員も気にしてない。もしかしたら’商品’にならなくなった魚がこの子達のごはんになっているのかも。
甥っ子へのプレゼントとローフィはまた魚を買いました。ニラという魚のこどもをバケツ一杯分。ワヤンと魚が大好きなローフィ。


さて時間が少しずつ近づいてきました。ジャワティ、カシューナッツ、魚の唐辛子炒め、コーヒー、ウンピン、クルポ、ガドガドソースなどなどいろんなものを家族や近所の人が持たせてくれる。
お姉さんもやって来て、これを持っていきなさいと、若かりし両親の写真をローフィにくれました。裏を返すと、「大好きなお父さん、お母さん、遠く離れても私の心のなかにずっといる。私はがんばります、お母さん大好き」と書かれていました。ローフィのお姉さんのこども時代はローフィやワヒューのこども時代以上に苦しく、生きるために子どもの時から働かねばなりませんでした。妹弟に少しでもいい教育を受けさせるために、ローフィのお姉さん二人は小学校卒業後すぐにジャカルタに出稼ぎにいったのでした。12歳のこども二人が500キロ離れたジャカルタへ。辛かっただろうに、お姉さんたちはローフィやワヒューが勉強できるようにとジャカルタから鉛筆やノートを送って、お父さんお母さんが少しでも楽に暮らせるようにと結婚するまで働き続けました。お姉さんがローフィにあげた両親の写真は、お姉さんがジャカルタに持って行ってた写真だと思います。お姉さんは「こんなものしかあげられなくてごめんな」と言いました。

さてトゥキアおばさんもやって来ました。「おみやげ、みんなとかぶったらあかんと思って」
と言って、


髪ピンをくれました。この圧倒的なゆるさ。ジャワはやっぱ面白い。
仕事や用事で全員は揃わなかったのだけど家の前で集合写真。


お別れの時です。みんな泣いている。
男の人も女の人も泣いている。みんなローフィの小さい頃を思い出して、自分たちの苦しくて楽しかった昔を思い出して泣いている。でもお母さんは泣きません。ローフィのお母さんはすごく強くて優しくて面白い。毎日毎日働いて、こどもたちを心優しい人に育てました。どれだけ感謝をしても足りないぐらい、やっぱりお母さんってすごい、強い。
寂しいね、スモヨ村に戻りたいね、と言いながらジョグジャの空港へ。
私たちの乗る飛行機には、


SEMANGAT HARIMAU MUDA
「燃えよ!若き虎!」
と書かれていました。
気持ちは関西へ。
楽しい一ヶ月を胸に、日本へ帰ります。
これまでジャワ滞在ブログを読んでくださってありがとうございました。

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