ジャワの暮らし6

2012/12/20 過去のブログ(エキサイトブログ)より

今日はインドゥリさんちの後にも大事な先生のところに行ってきたのでした。
ローフィが10代の頃に通いつめて一からグンデルを教えてもらっていた先生です。この方もスニマンアラミ。おじいさんと息子さんが親子でとても辛抱強く、ひとつひとつのチェンコ(グンデルの手)を教えてくれたそうです。夜中まで練習して、グンデルの横に布団をしいてもらって寝たこともよくあったそう。
おじいさんは私も何度かお会いしたことが会って、会うたびに日本の軍歌を歌ってくれます。「意味を教えてくれ!」と言われるのですが結構発音が自己流なので完全には意味はつかみきれないし、なんだかこんな歌を日本軍に歌わされてたんだ、でもなんか楽しそうに歌ってる、、、と思うと微妙な気持ちになったものでした。
今日お会いした先生はだいぶお年を召され、話も途切れ途切れでした。
でも、グンデルの前に座ると急に元気になって、バチを探しはじめました。しかしなんと二個ワンセットであるべきバチが一個しかなかったのです!
「なぜじゃ、なぜバチが一個しかないんじゃ、、、」先生はだいぶ残念だったみたいです。お孫さんがタンスの下やテレビの裏をずっと探していました。
先生とローフィ、グンデルの前に座って交互にバチ一本でなんとなく音を奏であって、しばらくすると、
「わしは、生きているうちにローフィにグンデルを一台作ってやる」と言いました。ローフィはちょっと悲しそうでした。
そのあと例の軍歌を歌い出しました。大きな声で私の目をじっとみてました。また、どういう意味じゃ!と聞くので、私が聞き取れた範囲で意味を伝えました。先生は「意味もわからず覚えたからのぉ、ちゃんと意味をわかっておけばよかった!」と言いました。
その後も何度も軍歌を歌い、何度もグンデルを作ってやる!と言ってくれました。「グンデル持ち上げる力もないのにねぇ」と奥さんが明るくいい放ちました。
ローフィはたくさんの素晴らしい師匠がいて、ここまでガムランが続けてこれたんだなぁと改めて思いました。たまにしか会いに行けないことを、ジャワに暮らして同じ舞台で技を盗めないことを、とても残念に思いました。
先生は「運よくわしは、まだ生きているのでローフィに言っとくぞ、ジャワの文化を守るんじゃぞ!」と言い、「とにかく時間はかかるがグンデルを作っておくからまた来るんじゃ!」と言いました。

でっかい枯葉二つでごん君は踊りまくっていました。

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