ジャワの暮らし52

2013/01/14 過去のブログ(エキサイトブログ)より

1/13 朝はスモヨ村のモスクから村内放送あり。

スモヨ村のドゥクン(呪術師、祈祷師)が亡くなりました。享年102歳、本日葬儀を執り行います。みなさんご参列ください。

というものでした。
みんな驚きました。
ローフィやローフィの兄弟はじめ村の赤ちゃんを取り上げてくれた人なのだそうです。
正確には実際赤ちゃんを取り上げるというよりも、お産の際、側で祈ってくれるのですが、お母さん曰く、無事に子どもが産めたのはドゥクンがいてくれたおかげ、ローフィのお姉さんが産まれる時に至っては、祈ってもらうだけでするするっと産まれて来た、お産婆さんも間に合わなかった、とのこと。
昔のことを思い出しドゥクンに感謝しながら、みんなは102歳ではきかない、もっといってるのではないかとも話していました。
ローフィのお母さんもローフィの亡くなったお父さんも正確な生年月日を知りません、その時代はそんなことは気にしませんでした。出生証明書や身分証明書を作る際、わからない人はおおよそで登録したそう。
ローフィが生まれる頃にはそういう手続きはきちんとされるようになったそうですが、それでも、出生証明書と身分証明書の綴りが本名と違ったりして、ローフィのパスポートを作る際は少々てこずりました。
今回の帰郷で、ローフィは出生証明書の綴りを訂正する手続きがやっとできました。

今回は懐かしい人にもたくさん会えたけれど、大切な方々との別れもありました。人との出会い、そのすべてに別れがある、それを忘れぬようにと言われたような気がします。

さて午後は親族の家へ。


ローフィのお兄さん二人と妹夫婦、そのこどもたちの総勢13人が3台のバイクで移動します。サーカスか!
雨雲。


訪れたのはお父さんの姉妹のお宅。ジョグジャの空港の本当にすぐ近くで、時々物凄い轟音でおっきな飛行機がすぐ頭上を飛びます。こどもたちは大喜びだけど、これは怖いだろうと思います(みんな慣れている様子でしたが)。
挨拶をして、甘いジャワティを飲んで、短い時間でしたがさあ次の親族のところへと、靴をはいた途端、バケツの水をひっくり返したような大雨になり、私たちはまた靴を脱いだ。
長引きそうな雨だということで、ジャワティがまた出てきて、
それでもやまないのでコーヒーが出てきて、
それでもまだやまないので出てきたのが


20皿ぐらいのラーメンと、バナナの花の煮込み(バナナのハートという名前)、豆腐とテンペの炒め煮と白ご飯。すぐ帰りますから何もいりませんからと始めからずっとご遠慮してたものが一気に出てきた。


こどもたちは隣の部屋かどこかで思いっきり遊んだあとみたいで大喜びでラーメン食べていた。日頃食の細い子もおかわりして。こういうお出掛けはうきうきして、いつものインスタントラーメンがなぜか特別美味しかったのでしょう。

さて、ご飯をいただいたら雨が止み、しかし日がくれてしまったので、次の予定をキャンセルし帰宅。本当は各親族の元へご挨拶に行きたかったのだけれどここは文明の力頼み、お電話にて帰国の挨拶をさせてもらった。

さておうちに着くと、


大きな箱に衣装や飾りがいっぱいで届けられていました。
実は明日、私たちは初の結婚記念写真を撮るのです。
2002年に留学して、ローフィに会って結婚して、日本で暮らして、あるむやごんくんが産まれて、今回が何度目かのジャワ帰郷。これまで本当に日本のみなさんジャワのみなさんにお世話になりました。ローフィを産み育てたお母さんにも本当に感謝です。これまであっという間で、結婚式など節目の行事をしてこなかった私たちは、お母さんへきちんとした場でお礼を述べることもできずにいました。なので今回は少しでも記念になればと撮影会をすることにしました。
ローフィは衣装にこだわりがあるのか、上半身裸が恥ずかしいだけなのか、顔面に何かを塗られるのが気持ち悪いのか、花婿用のメイク中に、これはしてもらっては困るとかこの手の衣装は着たくないとか色々わがままをいいますが、ずばり美川憲一「おだまり!」ではないでしょうか。

二人の写真を撮った後は家族やスモヨのおじさんおばさんたちみんな来ていただき、大勢でフレームいっぱいいっぱいの記念写真を撮りたいと思います。

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