ジャワの暮らし34

2013/1/1 過去のブログ(エキサイトブログ)より

12/31 2012年最後の夜はワヤン。キ・セノのワヤンの舞台に上がらせてもらうことになりました。光栄ですよ~。ネティちゃんの嫁いだお家で行われました、ネティちゃんとは大学のお友だちで、留学中はレコーディング(karya45という、45秒以内のガムランの曲を作っていました。AUの着うたにもなったことがありましたよ。)手伝ってもらったり、ネティちゃんがワヤンで徹夜明けの時は私の家に(大学のすぐそばに住んでいたので学生たちの仮眠に便利)ワヒューと一緒に休憩しに来ていました。大学は1限が7:30ですから、遠方の子は家に帰っている時間がないのです。
ネティもワヒューと同じくキ・セノのプシンデン、彼女はとっても化粧がうまい、丁寧なのです。今彼女は舞踊家の弟と一緒に結婚式の着付け・メイクの仕事もしています。
さて、会場となったのは、スレマン県の西の最端、その名も「端っこ」という名の村です。ひねりませんね~。
時は年末、海岸部へ向かう車の大大大渋滞、ジョグジャ市内の環状線のノースは一方通行になっているという噂も入り、私たちは環状線のノースを使い西に行くのが一番早いのに、なんとイーストで南下し、サウスで西へ、ウェストで北上するという遠回りを選択しました。
そして出来るだけ幹線道路を避けようといなか道を出発しました。しかし、


羊の群れです。道案内をかって出たかとでもいうくらい全く道を譲る気配もなく、私たちの車の前をゆっくりと走り続けます。
車内でだいぶヤギが飛びましたがそんなこと気にする羊ではありません。
しかしさすがに疲れたのか、生活圏を出そうになりヤバイと思ったのか、羊たちは急に足をとめ、端にはえてる草をおもむろに食べ始めました。ずっこけるぐらいのほほんとしている羊たち。
道は怖いぐらい混んでいたけれど、海、山に向かう幹線を避け、安全な地域の環状線を利用してなんとか「端っこ」に到着。
ネティとの思い出話もそうそうに、準備に取りかかり、舞台へ。


ワヤンの前に一時間ほど演奏するうちに、パンジャが位置に、そしてダランが位置につきます。パンジャとは、ダランのうしろに付くアシスタントで、この人の采配によって会場の盛り上がりや、ダランや楽団の評価が変わるのではないかと思うぐらい、優れたパンジャのアシストによってダランがより生き生きと演ずることを目の当たりにします。ダランの欲する飲み物を作ったり、壊れたワヤンをささっと修復したり、会場が沸くようなネタをダランにささやいたり、ダランが次使いたい人形を使いたい形にして手を伸ばしたまさにそこに置いておく、などなど、
あまり目立たないポジションなのかもしれませんが、このパンジャの働きをずっと見ているのもワヤンの楽しさの一つです。キ・セノとマルヨノさんは1994年からのコンビ、本当に息があっている。


一番右が私。浮いてますね~。何かって言うとダランにいじられ息が抜けません。

閑話休題
ローフィの膝にゴキブリがとまっています。ローフィが歩いてもじっとしている、そのまま屋外まで行ってポイ。考えられませんね、ジャワのゴキブリは日本のゴキブリよりゆっくりなのです。シャカシャカシャカー!みたいには動きません。でもやっぱりぞぞっとします。

さて、
ワヤン会場では、こんな風景が。


携帯いじってますよ~。セルフ写真とったり、すぐそこにいる男性演奏家と大人のSMSしたり、彼氏にSMSしたり、今夜は主催側のネティちゃんにやっほーとか、まあいろいろです。これはどういう現象なんだろう~と思うけど、まあ面白かったです。


ワヤンの花、プシンデンのエリアには、
携帯、ファンデーション、ティッシュ、楽譜、お菓子(持参品含む)、マイクなどがひしめいています。


お楽しみのゴロゴロ前ぐらいに夜食が配られました。


これはバッミーかな、ビーフンみたいな白細麺と中華麺のミックスに、キャベツ、チキンなどがのっている、肌寒い時間帯なので暖かい料理が嬉しい。


ごんは今回の渡インドネシアではじめてまともにワヤンをみました。終演まで起きていて、グンデルの中でじっとしたり、パンジャの隣でぼーっとしたりしていました。特に面白いとも面白くないとも言いませんが、知ってる人形が出てくると、あ、ビモーとか言って反応していました。

さて無事に新年を迎えることができ、ワヤンも終演となりました。
おうちに着くと6:30。ぐっすり寝たいと布団に転がりましたが、なんと8:30には起こされるんですよ。新年の、なんとなく少しだけ浮かれてるっぽい元旦、そんなローフィ一家の一日の始まりまで、残り二時間。私は昼までしっかり寝るつもりで目を閉じたのでした。

コメント