ジャワの暮らし26

2012/12/27 過去のブログ(エキサイトブログ)より

夜とも朝ともわからないまだ暗い頃、目覚まし時計が鳴る。
誰も起きないので仕方なく私は一生懸命鳴っている時計のありかを探す。時計は午前3時を指していた。再び寝ようとすると数分もしないうちにまた目覚まし時計が鳴った、そしてまた誰も起きない、そんなことを三回繰り返すと私一人だけすっかり目が覚めてしまった。
まだ外は暗く、鳥の声も聞こえない。どうしていいかわからずしばらくぼーっとすると、蚊が飛んできた。お前は来んでいい、と思ったが払っても払っても来た。こういうのをNemanin (友だちtemanの変化形、おともするの意味)と言います。nemaninしていらん。と思いながらしばらくするとみんなすっと起き出す、時間は3:45。目覚ましいらんやん。

さて手と足、顔を洗い4:00にメッカの方向に向かってお祈りをします。
そのあと、家の内、外の掃き掃除、昨日の食器洗い、熱いジャワティ作り、朝食の準備と忙しく動きます。こどもが起きてくると、ご飯を食べ、沐浴をし、朝7:00いろいろ終わってつかの間の休憩、といってもここから数時間休憩します。


私は周辺を散歩。


とうもろこし


シンコン 葉もおいしく食べられる


タマリンド 実は甘酸っぱい 飴ちゃんがおいしい


触れると葉が閉じる おじぎ草 ジャワ名は「恥ずかしがりやの女の子」。


向こうからおじいちゃんと女の子が歩いてくる、散歩か?


この建物は集落の入り口やその付近の交差点にあります。ここで村の男たちが数人ずつ持ち回りで夜の番をします。これは確か日本のシステムを取り入れたと聞いたことが。戦争中に日本がジャワの人に教えたのは、君が代はじめ日本の歌、さつまいも、それとこのシステムだと。
ここで男たちは、花札&麻雀的なことをしています。(賭けると捕まるのでたぶん賭けないで遊んでる)
私は留学時代、こういう建物の隣の家に住んでいたのでなにかと安心だった。知らない国で夜眠るのは緊張するけど人の話し声が一晩中して落ち着いたものです。
さて一泊二日のウォノサリをあとにして山を降ります。


なかなかうまく撮れないけどこれが、私がジャワの生駒と愛してやまないウォノサリからのジョグジャの景色。
さて下山後はアグスさんちに。


頼んでいたワヤンのスクリーンが出来上がっていました。ひとつはハナジョス、もうひとつをとある博物館に届けます。
アグスさんちからおうちへ帰る途中、商店でお買い物。


ビーサン、自由画帳、ユーカリオイル(蚊刺され他意味のわからない痒みに私は使ってる)、鳥の爪、野菜スープパケットなどを買っておばちゃんとおしゃべり、そしたら店の奥案内してくれ、ランブータンとかサラッという果物や、ウエハースをくれた。さらに奥にも何かあるので尋ねると魚を売っているというではないですか、さらに奥に進むと、


大きないけすがたくさん。
お姉ちゃんに、「旦那さんがこの商売してるの?」と聞くと
「違うわ、私がやってるの」
「え~お姉ちゃん一人で?」
「そうよ、私は小さい頃から魚が好きで、川で自分で捕まえるところからはじまりここまでやってきたのよ。」
と言いました。女の子が鑑賞魚商売を切り盛りしているなんて!
たくましいことです。
ローフィは白なまずを買いました。


おうちのいけすに放しましたさて元気に育つかな。
家ではおかあさんが待ってて
「ひろみ、ロテッを買ってきてやるよ」と出掛けていった。
すぐ帰ってきて、
「ひろみ、ロテッはなかったからひろみの好きなクパッタフを買ってきた、でもクパッも売り切れだったのでこれはクパッタフのクパッ抜きだ!さあひろみ以外誰も食べないから遠慮せず完食しなさい!」
といいました。私はローフィのおかあさんが大好きです。


完食しました。美味しかった!

今夜はジョグジャのど真ん中KEPATIHANというプンドポで、ワヤン・オラン(ワヤンの物語を舞踊で綴る芸能)があります。
今夜はジャワの研究で現地滞在している友だちや、茨木在住ゆりちゃんにもここKEPATIHANで会える予定。

そして、明日から舞踊のレッスンがはじまります。二日に一回のペースですが、さてなにか形になるんでしょうか。

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