ジャワの暮らし38

2013/1/4 過去のブログ(エキサイトブログ)より

ジャワではテレビでワヤン放送を楽しむことができます。
一晩のワヤンを区切って、一夜一時間ずつ放送されるのです。
今週は、12/21にジョグジャのTEMBIで行われたワヤンの放送があり、昨夜はゴロゴロのシーンでした。
私たちはTEMBIに観に行きました、ゴロゴロシーンはこんな感じで放送されていました。


ワヤン云々よりまず、このテレビの画質の粗さに驚かれているかもしれませんね、しかし驚くべきはこのテレビ、アンテナがないですよ、アンテナ線はあるけど途中でぶちんと切れていますよ、なぜ映るのでしょう!

今朝はスモヨ村のムディがうちに寄ってくれました。スモヨ村には、タペララスというガムラン楽団があり、ガムランはずっとローフィの家に置かれていました。ムディもそのメンバーでした。ガムランの定期練習の他、村祭りや独立記念祭の公演などわりと頻繁に活動していました、農家やテンペ屋さんや学校の先生や家具職人など、いろんな仕事をもつ村人からなる楽団で、夜になるとローフィの家にぞろぞろと集まっては深夜まで練習したものでした。しかし2006年の震災や、ローフィの日本移住や妹の結婚、村人の高齢化などいろいろなことがあり、少しコミュニティの繋がりが弱まりました、するとそこにスモヨ村のもうひとつの楽団であるクトプラ(伝統的な芝居)楽団が、ガムランはわしらのものだ!と言い出しました、もちろんスモヨ村みんなのものなので誰が使ってもいいわけですが、ワヤン、クトプラ間でちょっとした取り合いとなり、タペララスも若干下火とあって強くも出れず、結局ガムランはクトプラ楽団の方へ持っていかれてしまったのでした。そんなこんなでタペララスは活動休止に。ムディもローフィの家に滅多に来ることはなくなりました。
そんな彼が久々に、ローフィ帰国を知り来てくれたのでした。
こちらがムディ。


ムディはからだが元々大きく、イカしたタトゥもあり、みんなにビモと呼ばれていました。しかしムディはさらに大きくなっていた。ムディは、
「いくらなんでもこれは大きくなりすぎた、ちょっと動くだけでしんどいぜ」というのでした。
「血糖値も相当やばい」というのでした。砂糖を少な目にしたジャワティを飲むムディとローフィ。
ムディは現在は、ジャティラン楽団に所属し村内外でサロン奏者として活動しています。「ジャティラン界は怪しい魔術がいっぱいある、怖いぜ」と言うのでした。
さて、ムディは強面なれどなんだか憎めないすてきな人です、このムディこそが、ローフィがスモヨ小学校に寄贈したボール紙ワヤンを自分と自分の好きな人との結婚式のために売ってしまった人です。憎いね~。今彼は子どもが三人、幸せみたいです。よかったよかった。

その後9:00からジャワ舞踊レッスン。(ということはムディはなんという早朝に来たことでしょう。)

そして、入国管理局へ。ビザの延長手続き。


14:00に閉まるとだけ聞いていたのですが、やはりね、昼休みもしっかりあります、13:00まで。昼休みの後一時間で仕事終わり。休むね~。
仕方がないので私たちも休憩。
ソロ通りの屋台でバクソを。


食べているとバクソやさんと隣のミーアヤムやさんが愚痴ってる。
「また無賃飲食だよ、まったく」
「さっきのカルヤワン(従業員)さ」
「この人と会計一緒です、なんて言って、てんで嘘だよ」
あぁ大変ですね~

バクソの後、ミーアヤムと反対側に屋台を出していたダウッやさんへ。


ローフィ君大好きです。私はあまり好きじゃないのでうまく味を表現できないけれど、
ヤシ砂糖とココナツの甘い飲み物に、じゅるじゅるのゼリーみたいなのがいっぱい入っている飲み物です。
飲んでいると、飴ちゃんの空き袋を持った男の人がやってきた。屋台のおばちゃんが100や200RPのコインばかりが入ったビニール袋をだし、そこからコインをとって飴ちゃんの袋にいれようとすると、男の人が
「ダウッ」
と言った。おばちゃんはためらいもなく、ダウッを作り透明なビニール袋に入れ男の人に渡しました。ダウッの量はローフィに作ったものより少し少なかった。
通りで商売する人は、商売用とは別のコイン袋を準備し、もし商品を、と言われればそれを渡す。
人にものやお金を恵むことは、その人のためにならない、
という考え方がある。私もそれわかる。でも実際目の前にそういう人が現れたら、どうするのがいいのだろう。マリオボロ通りで昔、何十人ものもの乞いがずらっと道端に座り手を出してる、その道を通らなければいけない時、全てを見ないようにして通り過ぎたことがあります。目を背けたことに対して、自分にはどうしようもない、という肯定と、後ろめたさと、どうして彼らはそんな風にしか生きられないのだろうとか、いろんな思いがあったはずだけどそれを無理やり封じ込めてその瞬間何も感じないようにしたと思います。喜捨の精神とは何でしょうか。今目の前の人に今だけのためにしかならないお金を渡すのではなく、明日のためにできる喜捨ってなんだろう。そして今目の前にいる人にお金を渡すことは本当にその人をダメにしてしまうことなんだろうか。

13:00に入国管理局へ戻り書類に記入します。書類はただ、ピンクの袋が5000rp。


窓口のお兄さんに「この袋いらないかも~」というと
「私によれば、いります。」
と言われました。しっかりしてますね~。

必要書類である、ジョグジャークアラルンプールの航空券を持っていったつもりが、間違えてクアラルンプールー関西を提出してしまった、鞄を探してもそれしかない。困っていると
「なあみんな、この人を助けてあげよう」
「そうだなぁ」
ということで、申請は無事終了。おじさんやさしいなぁ。

ざーざー雨が降ってきて、濡れ鼠で家に帰りました。
早く暖まりたいと思ったら、
こどもは家にいるのにわざわざ外に出てびしょ濡れで遊んでいました。

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