ジャワの暮らし47

2013/01/10 過去のブログ(エキサイトブログ)より

朝は羊の餌やりから。


生後一ヶ月くらいの子羊とお母さん、お母さんは乳をあげるのでとってもお腹が空いている様子。


三時間後に見かけてもまだ食べていた。


尻尾の長い種のようです。羊のほか、鴨、鶏、牛など、農家であり太鼓奏者であるローフィのお兄さんが育てています。

さて今日は、ガムランやスクリーンを輸送代理店に運びます。
スクリーンや、衣装を作ってくれたアグス一家の村へ。
村にはこんな看板が。


22:00以降の訪問者は、
町内会長(RTや RWと類義)に報告が義務付けられています。
とあります。
RT RW というのは、隣組とか町内会みたいなものです。日本軍統治時代の仕組みを参考に取り入れられたそう。以前のブログにあります、持ち回り夜番や、玄関先にかけられたコップにコインを入れておとなりに回すなども、このRT RWの活動のひとつです。集団清掃もあるし、結婚式やお葬式、アリサンという定期的な懇親会なども。
看板にかかれているように、村の安全を守るため、村の外からやってくる人は報告義務があるんですね。留学時代、男の子が女の子の家に遊びに行き、そのまま夜になりました、村人がやってきて石を投げ、男の子が追い払われたことがありました。例え彼女、彼氏であっても、というかそれだからなおさら、町内会や村長に身分証明を持ってきちんと届け出ねばならないし、届け出たとて結婚・婚約していない男女が家に夜二人きりというのは基本的に許されません。(これは村、というのが前提です、街中ではこんなことはないと思います)

アグスさんのところから荷物を運び出します。

 

 


椅子にくっついてるこのシールは、ソト(汁かけご飯)やさん、店名は”ルマヤン”。
ルマヤンというのは、「まあまあ」とか「なかなか」というような意味です。力の抜けたイケてる命名。
ジャワでは意外とこの名前の雑貨やさん、食べ物やさんが見られます。まあ結構いい感じなんで気軽に寄ってください、という感じなのでしょう。
アグスさんのお父さんがお茶を出してくれました。先日のジャティランで女優になっていたお笑い芸人です。そんなもう~おかまいなくと言うと、「ここの水と仲良くなったらいいかなと思っただけ~」といってどこかへ行ってしまった。


続いてドノさんのガムラン工房へ。それぞれバイクでちゃちゃっといける近場。


このブリキがスレンテムやグンデルの共鳴筒になります。


共鳴筒、昔は竹でした。まろやかですごくいい音。
トラックに積み終わりました。


雨だったらどうするつもりだったのでしょうか。

あとは、ワヤンや衣装など、仕上がり次第輸送会社へ運んで、なんとか帰国日までに手続きを終えねばというところ。

午後はお葬式の報せ。
ジョグジャを代表するダラン、マルギさん(バゴン)のおじさんです。
先日お家へ遊びにいったときはお年は召したもののお元気で、一緒にジャワティを飲んでおしゃべりをしたばかりなので本当に驚きました。けれど私はジャワで、いつも通り元気で、ご飯を食べ、ちょっと休むねといったまま帰らぬ人となる方を何人も見ました。苦しまず延命もせず、なんだかあっさりと逝ってしまわれる。そんな時皆は「お迎えだから」と言います。迷惑をかけず天に召されることは幸せだとも言います。
ちょうど今朝、幼稚園の壁に「祈りましょう、祈られるその日まで」と書かれているのをみかけたばかりでした。
亡くなった方はもう祈りを捧げることができない。人生の最後のお祈りを、葬儀や埋葬に参列した人に代わってもらうのです。
葬儀では鎮魂のガムランが演奏されました。マルギさんのおじさんは(マルギさんも、そして奥さんも)、偉大なるダラン、スパルマンのガムラン奏者でした。名だたるジョグジャの演奏家が集い、ガムランを響かせながら故人を偲ぶのでした。こうして演奏家が一人また一人とこの世を去っていきます、時間が止まらないことを考えれば当然の、仕方のないことなのですが、やはり寂しく切ない。先輩演奏家の技を盗ませてもらってきた若い演奏家は、より一層の高みを目指してジョグジャカルタの素晴らしい芸能を継いでいくのでしょう。

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